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オレンジに魅せられてvol.1 – 背番号10に魅せられて –

オレンジに魅せられてvol.1 - 背番号10に魅せられて -

静岡にあるサッカークラブ。皆さんはどのチームを思い浮かべますか?

静岡出身やお住まいの方であれば、その地域によって思い浮かぶチームが異なるのかなと思います。

僕は静岡には縁もゆかりもない人間ですが、静岡のサッカークラブを応援し始めてかれこれ30年ほどになります。そのクラブは「清水エスパルス

2022年シーズン、J1リーグで17位となりJ2リーグへ降格。エスパルスにとっては2度目のJ2リーグ降格となりました。
※奇しくも同じく静岡のサッカークラブジュビロ磐田が18位でJ2リーグに降格。

そして迎えた2023年シーズン。この記事を執筆している2023年11月10日(金)時点では、自動昇格圏の2位につけています。しかし、まだ試合を残しており3位、4位のチームとも勝ち点が1差しかないため、順位は確定していません。

残り試合は1試合。

つまり、次の試合で来季J1リーグへ自動昇格するチームが決まるのです。

3位につけるのはジュビロ磐田、そして4位につけるのは東京ヴェルディ(旧ヴェルディ川崎)。

同じ静岡のサッカークラブであるジュビロ磐田と、同じJリーグ創設当初からのチーム、オリジナル10の東京ヴェルディ。この2クラブと自動昇格残りの1席を争うのです。

その運命の1戦は2023年11月12日(日)

つまり、この記事を書いている2日後。

すべて決まってから書けば良いかなとも思いましたが、自動昇格の枠を争っているのがジュビロ磐田と東京ヴェルディというのが個人的にちょっと思うところもあり、今のタイミングで書いておこうと思い執筆しています。

これは僕がオレンジ色のユニフォームに心奪われ、超めちゃくちゃ熱心に!という訳ではないですが、1つのサッカークラブを応援しているお話しです。

背番号10に魅せられて

清水エスパルスに在籍していた澤登 正朗選手のタペストリー

僕が清水エスパルスというサッカークラブを応援するきっかけが1人の選手。その選手とはプロデビューから引退までエスパルス一筋でミスターエスパルスとも称される「澤登 正朗」選手。

どこで初めてみたのかまでは覚えてないのですが、澤登 正朗選手のプレーを見て「かっこいい」と思い、そこからエスパルスを応援し始めました。

2度のあと一歩

Jリーグ元年である1993年。

Jリーグ開幕戦で澤登 正朗選手はルーキーながら背番号10をつけてピッチに立ちました。
※当時は背番号が現在の固定式ではなく変動性だったため、毎試合背番号が変わる可能性がありました。

惜しくも敗れ開幕戦勝利!とはならなかったものの、第1ステージ(サントリーシリーズ)を4位、第2ステージ(ニコスステージ)は2位で年間総合順位では3位という好成績でした。

そしてその年、澤登 正朗選手はJリーグ初代新人王に選ばれています。
※エスパルスへの入団は1992年

2位に終わった第2ステージで優勝したのはヴェルディ川崎。

当時のヴェルディ川崎は、キングカズこと、三浦知良選手や、ラモス瑠偉選手、武田修宏選手、柱谷哲二選手などなど当時の代表に名を連ねる選手が多く在籍するクラブでした。ちなみに監督は現在は解説などで活躍中の松木安太郎さんです。

同じく1993年のナビスコ杯(現JリーグYBCルヴァンカップ)の決勝戦がエスパルス対ヴェルディ川崎で、エスパルスが先制点をあげるも、その後逆転を許し1-2で敗戦。

ヴェルディ川崎に2度、冠を阻まれる年となりました。
※1992年に開催されたナビスコ杯でも決勝でヴェルディ川崎に敗れて準優勝。

当時、周りでもヴェルディ川崎は人気(特に三浦知良選手の人気は凄かったです)で、静岡のチームということもありエスパルスファンというのは周りには皆無でした。それでもエスパルスが好きでした。

きっかけは澤登 正朗選手でしたが、その他の選手も色々と覚え清水エスパルスというサッカークラブを応援するようになっていました。

ライバル登場

1994年シーズンJリーグに新たに「ジュビロ磐田」と「ベルマーレ平塚」が加わります。エスパルスとジュビロの対戦は静岡ダービーと呼ばれ、〇〇ダービーという言葉をそこで覚えたと思います。

ちなみにJリーグ初対戦(4月6日)ではエスパルスが1-0で勝利しますが、それ以降1996年11月9日の試合まで勝ちから遠ざかります。そのため当時は苦手意識しかありませんでした。

1994年シーズンは第1ステージが2位、第2ステージが6位、年間総合成績が4位という結果でした。2年連続で優勝を逃し、シルバーコレクターと呼ばれることもありました。。。

再度決勝にて

時は流れ1996年。
この年Jリーグはそれまでの2ステージ制から1ステージ制になりました。
※翌年1997年は2ステージ制に戻りました。

エスパルスのリーグ成績は10位と良いとは言えない結果に終わりました。しかしエスパルスの歴史を語る上で外すことのできない出来事がこの年、起こります。

その出来事が起きたのは「ナビスコ杯」

1993年にヴェルディ川崎に敗れ惜しくも準優勝となった時以来の決勝進出を果たしたのです。
相手は奇しくも1993年と同じヴェルディ川崎。

1996年9月26日。当時、この試合を国立競技場にて観戦しました。まだ小学生だったので、親に連れて行ってもらいました。

ちなみにこの9月26日というのは当時エスパルスに在籍していた長谷川健太選手の誕生日ということもあり、出来事=日にちで覚えている数少ない日です。

試合は90分で決着が着かず延長戦へ。そして延長でも決着が着かずにPK戦へともつれ込みました。

ちなみにPK戦はエスパルスサポーターがいる側のゴールで行われました。
※個人的にはここがとても重要ポイントでした。

ヴェルディ川崎が先行、エスパルスが後攻で行われることに。

ヴェルディ川崎の1人目のキッカーは三浦和良選手、そしてエスパルスのキッカーは澤登 正朗選手。

1993年のJリーグ元年のMVPと新人王です。互いにゴールを決め、2人目のキッカーへ。

2人目のヴェルディ川崎のキッカーはマグロン選手。そしてエスパルスのキッカーはサントス選手。

マグロン選手が蹴ったボールはゴールの横へ。エスパルスのキッカーサントス選手は無事に決め2-1とリードする展開に。

その後、両チームともそれぞれPKを成功させエスパルス5人目のキッカー、オリバ選手。ここで決めたら悲願の初冠。オリバ選手が放ったボールはゴール左隅へ。。。見事成功させエスパルスの優勝が決まった瞬間でした。

エスパルスサポーター側のゴール裏は正に歓喜の嵐。それまで現地観戦は何度かしましたが、忘れることのできない現地観戦となりました。

エスパルスを応援し始めて始めての冠(タイトル)獲得。リーグ優勝ではないですが優勝ってのは嬉しいものです。

しかも対戦相手が今まで何度も優勝を阻まれてきたヴェルディというのが、これまたなんとも言えなかったです。

それまでスポーツを見て泣く、という感覚はなかったのですがその時は本当に自然に涙がこぼれていました。

オレンジ色の背番号10を見た時から始まったエスパルスの応援、そして初優勝の体験。ここまでが個人的に一つの区切りかなと思います。

次回は、1997年以降の清水エスパルスと僕について書いていきたいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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