
2023年11月12日(日)J2リーグ最終節。自動昇格最後の1つの枠を3チームが争う展開に。
試合開始前に2位につけている清水エスパルスは勝てば他の結果関係なく2位確定でJ1昇格。しかし、引き分けや負けの場合は他の結果によっては自動昇格を逃し、プレーオフへと進むことになります。
前回のオレンジに魅せられては、その試合の前に執筆したわけですが、今回はその試合の後に執筆をしています。つまり、もう結果が出ているということになりますね。
あえて、その結果には触れず今回は1997年以降の清水エスパルスと僕について書いていきたいと思います。
これは幼少期に出会ったオレンジ色のユニフォームのサッカークラブと僕のお話です。
消滅危機と共に抱いた悔しさ

1997年、前年の1ステージ制から再度2ステージ制へと戻りました。加えて、変動性だった背番号が固定制に。清水エスパルスの背番号10は1つ前の記事でも紹介した「澤登 正朗」選手
エスパルスは1stステージ7位、2ndステージ6位で年間総合成績5位という結果に終わりました。
ちなみにジュビロ磐田が2ndステージ優勝し、1st・2ndステージそれぞれの優勝クラブが戦うサントリーチャンピオンシップで1stステージを制した鹿島アントラーズと対戦し、2試合の合計スコア4-2で年間チャンピオンに輝きました。
この当時のジュビロ磐田はゴン中山こと、中山雅史選手や、元ブラジル代表ドゥンガ選手、日本代表にも選ばれ後にセリアAへ移籍する名波浩選手などが所属していました。
※この年のMVP(最優秀選手賞)はドゥンガ選手
同じ静岡のクラブ、ジュビロ磐田が先に優勝(加えて2ndステージの最終戦、ジュビロと対戦し敗戦)というなんとも悔しい1年に。
更に、この年エスパルスは当時の運営会社が経営破綻となり、一時消滅の危機にみまわれましたが、署名や募金などにより消滅の危機を免れました。
あと一歩、あと一歩前へ

1998年、サッカー日本代表が初めてW杯に出場した年でもありますね。
この年の個人的衝撃は「市川大祐」選手。当時17歳(高校3年生に進級する年)でJリーグデビューを果たしました。
ちなみにエスパルスではありませんが、天才・小野伸二選手は市川大祐選手の1歳年上で、13クラブからオファーを受け浦和レッズに入団しJリーグデビュー。この年の新人王に輝いているのですが、この人もまぁ衝撃を受けました。
小野伸二選手は静岡県沼津市出身で、清水商業高校に進学しており、いうならば”地元”の選手なわけです。そういったこともあってか当時、試合を見に行った際に「小野伸二をエスパルスに」的な署名活動があったのを記憶しています。
13クラブからオファーがある逸材ですからね。この年行われたフランスW杯のメンバー入りもしており、ジャマイカ戦に途中出場。18歳と272日でのW杯出場は、この記事を執筆している2023年11月13日時点では日本代表最年少記録となっています。
市川大祐選手もW杯メンバー最終選考まで残っていましたが、最後の最後に落選となってしまいました。三浦和良選手・北沢豪選手と共にメンバーを外れました。当時は三浦和良選手が落選した事が世の中的にはインパクト大だったかもしれませんね。
※市川大祐選手はフランスW杯メンバー選出とはならなかったものの、17歳322日での日本代表最年少出場記録となっています。
話が脱線してしまいましたが、、、1998年清水エスパルスは1stステージ2度の6連勝などもあり優勝争いに絡みます。
13節終了時点(残り4節)で、5クラブが勝ち点で並ぶ中、最後まで勝ち積み重ねシーズンを終えました。ということは、、、優勝、、、???
ではないんです。最終節終了時点で勝ち点が並んでいたクラブがあるんです。それがジュビロ磐田。勝ち点が並んだ際には”何”が順位付けの要素になるか。
それは得失点差です。得点数から失点数を差し引いた得失点差で決まるのです。
清水エスパルスの得失点差は+18、一方ジュビロ磐田の得失点差は+34。
そうです。得失点差によりジュビロ岩田が1998年1stステージを制したのです。
清水エスパルスの得失点差+18というのが少ないのか?というとジュビロ磐田につぐ2位(4位横浜マリノスも+18)の得失点差なので、多くはないかもしれませんが決して少なくないと思います。と、いうかジュビロ磐田の得失点差が凄いんです。
過去には1995年の第2ステージ優勝のヴェルディ川崎が同じく得失点差+34でしたが、試合数が26試合あります。
1998年の1stステージの試合数は17試合。つまり9試合少ない中で同じ得失点差。ジュビロ磐田の得失点差がいかに凄いのかがわかると思います。
このジュビロ磐田の脅威の得失点差に大きく貢献しているのが、中山雅史選手。1sステージで4試合連続ハットトリックというとんでもない事をしています。
※ハットトリック=1試合で3点決めること
そんなわけで、優勝にあと一歩のところで手が届きませんでした。
2ndステージは1stステージの勢いを保てずに5位に終わりました。
※年間総合3位
しかし、この年のエスパルスはここで終わりではありません。
翌年の1月1日元旦に決勝戦が行われる天皇杯で、クラブ初となる決勝進出を果たすのです。
1999年、激動の始まり

1999年国立競技場。人生で初めて元旦からサッカー観戦をするというサポーターとしてはなんとも嬉しい1年のスタート。
第78回天皇杯決勝。
清水エスパルスは1998年11月末からのリーグ戦を勝ち抜き、そのピッチに立つ資格を得ました。相手はこの試合を最後に横浜マリノスへの吸収合併が決まっている横浜フリューゲルス。
この天皇杯決勝が横浜フリューゲルスとしてクラブ最後の試合となるわけです。ちなみに1993年Jリーグ元年のエスパルスの開幕戦の相手は横浜フリューゲルスでした。
横浜フリューゲルスからしたら、エスパルスとの対戦に始まり、エスパルスの対戦で終わるというなんとも不思議な巡り合わせです。
※その時は2-3でエスパルスがフリューゲルスに負けました。
初めての元旦のサッカー観戦。天皇杯決勝という舞台がそうしているのか、又は横浜フリューゲルス最後の試合というのも影響しているのか、今まで観戦してきた試合とはなんだか雰囲気が違うなと、感じました。
そしてキックオフの笛が吹かれ、試合が始まりました。
試合開始から試合を優位に進めたのはエスパルスでした。そして前半の割と早い時間に澤登正朗選手のゴールで先制!その後も攻め続けますが、中々追加点が奪えずに迎えた前半終了間際、横浜フリューゲルスが同点に追いつきます。
こうなると勢いづくのはフリューゲルスですよね。後半に入ると試合はフリューゲルスペースで進みます。
そして、遂にフリューゲルスが逆転。その後追いつくことはできずに試合終了のホイッスル。横浜フリューゲルスが有終の美を飾る結果となりました。
またしても、あと一歩。1996年のナビスコ杯で初タイトル獲得しましたが、あと一歩を何回経験したきたことか。ナビスコ杯、リーグ戦に続き、天皇杯でも優勝まであと一歩及ばず・・・という経験が加わりました。
そして迎えた1999年のリーグ戦。1999年も前年同様2ステージ制でおこなわれました。
個人的に1999年の清水エスパルスは、一番記憶に、思い出に残っている年かなと。
そんなわけで今回はここまでとして、次回激動の1999年の続きを書きたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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