静岡にあるサッカークラブ「清水エスパルス」
この記事を執筆している2023年11月25日時点で来季J1かJ2かは決まっていません。
ここまでJリーグが開幕した1993年から1999年の元旦に行われた天皇杯決勝までのことを書いてきました。
1999年のスタートは天皇杯の決勝からスタートした清水エスパルス。
振り返ってみると、この1999年というのは1番印象に残っている年であり、個人的に一番清水エスパルスというサッカークラブに対する熱があった時期だったかもしれません。
今回はその清水エスパルスの1999年の天皇杯以降のお話です。
遠い背中
1999年も2ステージ制にて行われました。
加えて、この年からJ1リーグの下位チームとJ2リーグの上位チームが入れ替わる2リーグ制となりました。
1999年、1stステージ。
制したのは、、、ジュビロ磐田。2位はヴェルディ川崎(当時の名称)、そして3位が清水エスパルス。奇しくも2023年J2リーグで最終節までJ1自動昇格の残り1枠を争った3クラブ。
1位のジュビロ磐田と2位のヴェルディの勝ち点差は2(勝ちで勝ち点3、引き分けで勝ち点1)なので、接戦だったのが伺えます。
そしてエスパルスは1位ジュビロ磐田との勝ち点差は4。近いようで遠い勝ち点4差。
近づいているようで遠いステージ優勝。しかも優勝しているのが同じ静岡のクラブチームのジュビロ磐田。
個人的にこの流れというのはなんだか悔しい気持ちが残る結果となりました。
涙の先に見えたもの
迎えた1999年J1リーグ2ndステージ。
この年のエスパルスの攻撃の要はアレックス選手(後に帰化して三都主アレサンドロに)
当時、アレックス選手をスタジアムで見た際のスピード感は衝撃を受けました。
加えて、キャプテン澤登正朗選手や、日本代表にも選出されたことの伊東輝悦選手や、市川大祐選手、ベテランのサントス選手が在籍しており、元旦に天皇杯の決勝で戦った横浜フリューゲルスに在籍し、天皇杯でもゴールを決めた久保山由清選手が移籍してきたり、横浜マリノスに在籍し、スペインリーグでもプレー経験のある安永聡太郎選手が移籍してきたりという事もあり、チームとしての成熟度も高い状況だったと思います。
1stステージでは3位に終わったエスパルスですが、2ndステージ中盤で8連勝を記録するなど快進撃みせ首位に立ちます。
そして迎えた1999年11月23日。舞台は横浜国際総合競技場。相手は2位の横浜Fマリノス。勝てばリーグ優勝が決まるという1戦。
この日は平日、そして試合開始時刻が15:03。当時中学生だった自分は早退をしスタジアムへ向かいました。
リーグ優勝がかかった1戦。そりゃ行きますよ。当時の熱具合がわかるかなと思います。
試合は序盤から動きを見せます。
試合開始1分、アレックス選手のゴールでエスパルスが先制。
正に閃光一線という言葉がピッタリの先制だったのですが、、、前半8分に同点に追いつかれます。
まじか・・・先制してからわずか7分ほどでの同点。
優勝したい・・・優勝が見たい・・・しかもスタジアムでの観戦!
その想いが届いたのか、前半25分頃に安永聡太郎選手のゴールで勝ち越し!
安永聡太郎選手は古巣、横浜マリノス戦でのゴール。しかも優勝がかかった1戦でのゴール。
しかし試合の残り時間は長い。本当に長く感じました。早く時間よ過ぎてくれ…!!!
そして試合は動く事なく試合終了のホイッスル。その瞬間、清水エスパルス悲願のリーグ優勝が決まりました。
勿論、嬉しさはありました。けど、不思議ですね、自分が優勝したわけじゃないのに気づいたら泣いてました。
澤登正朗選手のプレーを見て清水エスパルスというチームを知り応援するようになり、ナビスコ杯優勝はあれどリーグ優勝を経験できず、何度も優勝まであと一歩を経験し、遂に得たリーグ優勝。キャプテンは背番号10を背負う澤登正朗選手。そりゃ泣きますよね。
そして、2ndステージ優勝をしたことで初の静岡ダービーのチャンピオンシップ開催が決まりました。
※1stステージと2ndステージの優勝チームが年間チャンピオンを争うのがチャンピオンシップ
泣いて、笑って、また泣いて
1999年J1リーグ1stステージ優勝、ジュビロ磐田。2ndステージ優勝、清水エスパルス。
その両者が戦うチャンピオンシップ。
それぞれのホームで1試合ずつ行われ、勝ち点の合計点が多い方が年間チャンピオンとなります。
清水エスパルスとしては初めてのチャンピオンシップ。その相手が同じ静岡のサッカークラブジュビロ磐田。
サポーターとしても燃えない訳がないですよね。
まさかの結末、チャンピオンシップ1戦目
1戦目は1stステージ優勝のジュビロ磐田のホーム、2戦目は2ndステージ優勝の清水エスパルスのホームで行われました。
1戦目。ホームのジュビロ磐田が中山雅史選手のゴールで先制。
しかし、その直後、澤登正朗選手のゴールでエスパルスが同点に追いつきます。
両選手ともチームを代表する選手。その両選手のゴールというも良き点でした。
そして90分で決着が着かず、試合は延長戦へ。
試合はまさかの結末を迎えます。
ジュビロ磐田の選手があげたセンタリングがエスパルスのDF西澤淳二選手の腕にあたりハンドの判定。ジュビロ磐田がPKを獲得し、そのPKを中山雅史選手が決め、1-2でジュビロ磐田が勝利。
まさかのハンド、そしてPKでの決着。
しかし、延長での決着という事もあり2戦目でエスパルスが90分以内で勝てば年間チャンピオン。
勝てばいい。勝てばいいんだよ。90分で。1戦目を落としただけだ!そう言い聞かせ迎えた1999年J1リーグチャンピオンシップ第2戦。静岡の日本平スタジアムに足を運びました。
呆然からの始まり
1999年、チャンピオンシップ1戦目を落とし、年間チャンピオンになるには勝つのが絶対条件の中迎えた2戦目。
どの試合でもそうですが先制点というのはとても大きい。負けられない1戦、何がなんでも先制して試合の流れを掴みたい。その気持ちとは裏腹に前半、ジュビロ磐田に先制を許してしまいます。
1つのミスから生まれた失点だったように見えました。
エスパルスのDF西澤淳二選手が自陣で中山雅史選手のボールを奪われ、そこからの失点。
西澤選手のボールタッチが大きくなったところを中山選手が見逃さずボールを奪取といった形でした。
負けられない1戦で先制点を許す。しかもそれがミスから生まれたもの。
西澤選手は1試合目で決勝点となるPKを与えるハンドをしてしまっている事もあり、うなだれていました。
しかし、その直後エスパルスのアレックス選手が倒されてFK獲得。
が、しかし、そのファールに対する報復行為でアレックス選手にレッドカード。つまり退場です。
少し前にも書きましたが、この年の攻撃の要はアレックス選手。
※アレックス選手はこの年、年間MVPを獲得
そのアレックス選手の退場。しかも先制されている状況。
まじか・・・それがその時の率直な感想です。
この状況で?アレックス退場?まじか・・・
FKを得たと言ってもゴールからは少し遠い距離。そのFKと引き換えにアレックス選手の退場。まじか・・・しか出てこないですよね。
先制のされ方も良くないし、なんだこの試合展開は・・・正に呆然でした。
キャプテンってこういうことか
アレックス選手は報復行為で退場になったものの、得たFKはそのまま残ります。
しかし、先述したようにゴール正面というよりは少し遠い距離からのFK。
キッカーは澤登正朗選手。
直接狙うにしてはちょっと距離がありそうだな・・・どこかに合わせてくるのか・・・
そんなことを考えながら見守っていました。
次の瞬間、澤登選手の右足から放たれたボールはゴール右隅へ吸い込まれていきました。
まじか・・・が、まじか!!に変わった瞬間でもありました。
直接決めるのかよ!まじかよ!!スタジアム(エスパルス側)の熱狂具合は凄かったです。正に歓喜。
ゴールにも感動したのですが、その後に澤登選手がとった行動で更に感動しました。
1試合目試合を決めるPKを与えるハンドをしてしまい、2試合目先制を許すきっかけを作ってしまった西澤選手。の胸を叩き、何か言ってるんですね。
これは完全に憶測ですが、「大丈夫、気にするな、いけるよ、まだいけるから切り替えていこう」そんなような言葉をかけていたんじゃないかなと。清水エスパルスの背番号10を背負い、キャプテンを務める澤登正朗選手。
そのキャプテンのその行動にまだ勝ってない、試合の途中なのにうっすらと涙を浮かべてしまいました。
激闘の果てに
澤登選手のゴールで同点に追いついた清水エスパルス。
その勢いのままに勝ち越し!といきたいところでしたが、ゴールを奪えずに試合は1戦目と同じく延長戦へ。
1試合目が延長戦での決着だったため、延長戦で清水エスパルスが勝利を決めた場合、PK戦になります。
そして迎えた延長前半9分、清水エスパルスのファビーニョ選手がゴール!その瞬間、初の静岡県同士のチャンピオンシップはPK戦へ。
PK戦でチャンピオンが決まる。というとやはり思い出すのは初めて清水エスパルスがタイトルを獲得したヴェルディ川崎(当時)との1996年ナビスコ杯決勝。
あの時の感動をもう一度。そんな気持ちでスタンドから見守っていました。
しかし、清水エスパルス2人目のキッカー、サントス選手がゴールキーパーに止められ、4人目ファビーニョ選手の放ったボールがゴール枠外へ。その瞬間、ジュビロ磐田の年間チャンピオンが決まりました。
試合後、ジュビロ磐田の中山雅史選手は「年間を通して成績を残したのはエスパルスだったと思う」といったコメントを残してくれました。なんかそのコメントが胸にきました。
嬉しくもあり、結果として年間チャンピオンになれなかった悔しさもあり。
結果もそうなのですが、静岡ダービーのチャンピオンシップ。そして第1戦目の結末〜2戦目の同点劇までの流れというのもあり、個人的に記憶に残るチャンピオンシップになりました。
世界を見回したら凄いゴール、スーパーゴールと呼ばれるゴールはたくさんあると思います。
だけど、自分の中のベストゴールは1999年チャンピオンシップ2戦目で見た、澤登正朗選手のFKです。
オレンジ色のユニフォームを応援するきっかけとなった選手、そしてキャプテンとしてチームを引っ張ってくれた背番号10の。
今回のお話はここまでです。ここまでお読みいただきありがとうございます。
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